小山田古墳&石見神楽
こんにちは。まお介です。
先日 8/26(土)、飛鳥で行われた小山田古墳の現地説明会と、天平たなばた祭で行われた石見神楽に行ってきました。
先ずは、小山田古墳…
掲示してあった見取図を撮影したので若干不明瞭ですが、青く塗られた四角が小山田古墳の推定範囲です。
一辺が70mの方墳と考えられます。
今回の発掘現場です。
石室羨道(せんどう)の壁石の抜き取り穴と、羨道中心軸に作られた石組暗渠(あんきょ・溝)が検出されましたが、遺跡としては かなり不明瞭でした。
石組暗渠の拡大。
羨道の幅は2,6m、長さは8,7m以上で、石舞台古墳の石室に勝るとも劣らない規模が推測されますが、羨道の奥延長線上に棺を納める玄室(げんしつ)があったと推定される箇所からは何も検出されませんでした。
現在は養護学校になっている場所ですから、建設時に削平されて玄室の痕跡は失われてしまった可能性が高い様ですが、推定より羨道が短かった場合は、未だ校舎の下に痕跡が眠っているかもしれません。
(^_^;)
養護学校の遠景。
少し分かりにくいかと思いますが、一番左側にある建物から一番右側にある建物までが、小山田古墳の推定範囲です。
こちらは、今回の現地説明会に併せ久々に石室が一般公開された菖蒲池古墳の見取図。
オレンジ色の四角が推定範囲で、一辺が30m程の方墳で、小山田古墳から徒歩3分。
すぐ隣にある事から、小山田古墳と菖蒲池古墳を、蘇我蝦夷の大陵と蘇我入鹿の小陵…いわゆる双墓(ならびのはか)と見る説があります。
ちなみに小山田古墳は、舒明天皇の改葬前の墓、滑谷岡(なめはざまのおか)の陵と見る説もあります。
石室の開口部。石棺が見えます。
手前と奥、縦一列に石棺が2つ並び納められています。
レンズの不具合で相変わらず滲んでますが(苦笑)、奥の石棺。
改めて2つの古墳を並び見て、持論の考え直しも必要かな…などと思いを巡らし、なかなか楽しい現地説明会となりました。
久々に菖蒲池古墳の石室も見れましたしね。
(^_^)
次に、夜は平城宮跡に移動して石見神楽へ!
以前に同じく天平祭で高千穂の神楽は見ていたのですが、石見神楽は初めて!
楽しみにしておりました。
(>_<)
よっ!須佐之男!
八俣遠呂智!八俣遠呂智!八俣遠呂智!
(^O^)
少し動作が動物っぽくて『可愛い!』という声が周りから挙がってました。
(^_^;)
須佐之男が酒に酔った八俣遠呂智を攻撃!
攻撃直前、酔い潰れた八俣遠呂智を確認して『クックックックッ…』と笑う須佐之男が、結構黒かったです。
(~_~;)
攻撃に参加する 足名椎と手名椎!
更には 櫛名田比売も参戦!
こんなシーンは古事記に無いぞ!
ウェーイッ!!
(>_<)/
討ち取られた八俣遠呂智達…。
(T_T)
八俣遠呂智を形成する材料は和紙を何枚も重ね合わせた物で、非常に頑丈!
今回は消防からNGが出た様ですが、本来は口から花火が噴出する演出になっています…火を噴く所も見たかったなぁ…。
( ̄^ ̄)
まぁ…平城宮跡だから仕方ないですな。
(^_^;)
という感じの、充実した1日となりました。
ではでは、本日は此れにて!